潮流を読む「わが国の将来的な『労働供給の天井』問題解決のために」

コラム

 

大和総研のエコノミストは、日本の経済活動の正常化が当面継続すると見込まれる中、人手不足は一時的な問題というよりも、中長期的に注視すべき社会構造的問題として指摘している[注1]。そこでは「労働供給の天井」というキーワードが挙げられている。「労働供給の天井」とは、労働需給の逼迫(ひっぱく)を解消するわが国の労働供給能力の限界が見えてくることと捉えられる。過去20年間を見ると、労働供給量の減少は明らかである。20~74歳人口は過去20年間で8%減少した。今後は、一定の外国人の流入が想定されているにもかかわらず、人口動態を反映する形で就業者数も減っていく傾向が続くことが、政府の将来推計[注2]の見通しである。この推計では、20~74歳人口は今後20年間で14%減少し、その次の20年間で21%減少する。

 「労働供給の天井」の問題を解決するためには、1)労働参加率を高めるか、2)就業可能な外国人の流入を増やすか、もしくは3)AI(人工知能)を含むロボットを活用するかという選択肢がある。まず労働参加率を高めることが最重要であろう。前述のように過去20年間では20~74歳人口は減少したが、就業者数は女性や高齢者の労働参加の進展などにより同7%増加した。労働参加率を増やすには、前述のエコノミストは労働市場改革の必要性を説いている。つまり、「1人1人の付加価値創出能力を高め、年齢や性、ライフステージなどにかかわらず働く意欲や能力を発揮する労働市場をいかに構築するかがこれまで以上に問われるだろう。」としている。現政権も「リ・スキリング[注3]」「職務給」「労働移動の円滑化」から成る三位一体の労働市場改革を推進する方針を打ち出している。

 しかし、前述の肝心要の「1人1人の付加価値創出能力」の向上=供給される労働力の質の向上がなければ、1)労働参加率を高める、どころか逆の効果を招く可能性がある。日本人の「1人1人の付加価値創出能力」の向上がないと、2)外国人労働者の活用と3)ロボットの活用の方が、効率的に付加価値を創出できる可能性がある。このため、労働供給の量と質の不足の問題は区別して考える必要があろう。産業別、業種別、職域別に日本人の「1人1人の付加価値創出能力」を考えていかないと、「リ・スキリング」だけでは「労働供給の天井」は、「労働供給の量の天井」から、いずれ「労働供給の質の天井」に置き換わる可能性が高い。この問題が顕在化すれば、既存の労働者は、付加価値創出能力を高めるどころか、逆に既存の生産性の低い職務を守ろうとするインセンティブが高まる可能性がある。

 「労働供給の天井」は日本の経済成長を今後左右する。これについて前述のエコノミストは「労働供給が制約となって需要の回復が遅れたり」する可能性を指摘している。確かに、少子高齢化の進展を考えれば、日本では労働供給の「量」を増やす余地は限られる一方、「質」を高める余地はかなり大きい。しかし「質」を高める工夫は前述したようなキーワードで表現できる画一的な手法ではない。企業の経営者が自社の付加価値を追求していく中で、必要な職能を特定し、その上で経営者の責任において従業員を再教育していくという覚悟が必要であろう。この付加価値を従業員と追求するという経営者の覚悟があってこそ、従業員を企業の重要な資産と見なし、その資産を最大限に活用することを目的とした経営手法である人的資本経営の本格的な取り組みにつながるのではないか。労働需給の逼迫は中長期的に継続し得る構造問題であり、労働供給の強化は成長戦略といえる。わが国の企業の経営者1人1人が成長戦略を担っている責任感が今後の日本の成長を大きく左右するといえよう。

(7月20日執筆)

 [注1]神田 慶司「経済正常化後に懸念される『労働供給の天井』問題」、大和総研コラム、2023年7月12日

 [注2]国立社会保障・人口問題研究所が2023年4月26日に公表した「日本の将来推計人口(令和5年推計)」における将来推計人口(中位推計)。

 [注3]企業がDX(デジタルトランスフォーメーション=デジタル化による企業のビジネスモデルの変革)などの自社の変革のため、新たな職能を有する人材が必要となり、その職能を開発するための再教育などを意味する。

株式会社大和総研 金融調査部 主席研究員  内野 逸勢
◇内野 逸勢/うちの・はやなり

1990年慶応義塾大学法学部卒業。大和総研入社。企業調査部、経営コンサルティング部、大蔵省財政金融研究所(1998~2000年)出向などを経て現職(金融調査部 主席研究員)。専門は金・資本市場、金融機関経営、地域経済、グローバルガバナンスなど。主な著書・論文に『地銀の次世代ビジネスモデル』2020年5月、共著(主著)、『FinTechと金融の未来~10年後に価値のある金融ビジネスとは何か?~』2018年4月、共著(主著)、『JAL再生 高収益企業への転換』日本経済新聞出版、2013年1月、共著。IAASB CAG(国際監査・保証基準審議会 諮問・助言グループ)委員(2005~2014年)。日本証券経済研究所「証券業界とフィンテックに関する研究会」(2017年)