「江戸時代の悲しい出版事情」
50歳の時に高校の教員を退職し、作家として独立して10年たった。ところで、専業作家という職業は、あと10年で壊滅するだろう。大げさな話ではなく、長年続く出版不況はまさに危機的な状況で、電車に乗っても本や雑誌を手にしている人はおらず、年配者までもがスマホを片手にインターネットやゲームを楽しんでいる。
令和5年度「国語に関する世論調査」(文化庁)では、本を月に1冊も読まない人が6割を超え、7割が以前と比べて読書量が減ったと回答している。このため出版業界の売り上げは右肩下がり、印刷される本の初版部数も減る一方だ。
知り合いの小説家に聞いたら、本を1冊書いて50万円の収入にしかならないという。小説は創作だから書くのに時間がかかり、年に2、3冊出版するのが限度。幸い私は講演会やテレビなどの仕事をいただいているが、とても物書きだけで暮らしていけないことが分かるだろう。
専業で暮らしていける作家が登場したのは、実はそれほど昔のことではない。2025年のNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』で主人公となった版元の蔦屋重三郎らが、戯作者の山東京伝に原稿料を支払うようになったのが最初だとされる。それまで物書きは武士や富裕層の知識人の道楽であり、版元は執筆のお礼として宴席を設ける程度だった。それに出版した本だって、売れても500部程度だった。1000部もさばけたらベストセラーだ。ところが京伝の作品は桁違いの売れ行きを見せたのだ。
ちなみに原稿料だけで生活できる専業作家は、少し時代が下って『南総里見八犬伝』を書いた曲亭馬琴や、『東海道中膝栗毛』を書いた十返舎一九あたりが最初だとされる。
ただ、そんな馬琴だって壮年になるまでは他の仕事で生計を立て、晩年は将来が心配で孫に御家人株(武士の権利)を買っている。しかも、失明した後も嫁に代筆させて出版を続けている。もちろん書くのが好きだということもあるが、生活に余裕がなかったのだ。それは、印税制度がなかったからだ。いくら増刷しても、作家がもらえるのは最初の原稿料だけだった。
だから人気作家であっても、次々と新刊を出し続けていくしかなかったのである。結果として彼らは非常に多作になる。例えば馬琴は、生涯で少なくとも二百数十冊の本を書いており、一九も売れっ子になってからは、毎年20冊以上の本を出し続けている。出版不況のいま、現代の作家もこれを見習って生き残っていくほかないのかもしれない。
歴史作家
河合 敦
◇河合 敦/かわい・あつし
東京都町田市生まれ。1989年青山学院大学卒業、2005年早稲田大学大学院修士課程修了、11年同大学院博士課程(教育学研究科社会科教育専攻(日本史))満期退学。27年間の高校教師を経て、現在、多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。講演会や執筆活動、テレビで日本史を解説するとともに、NHK時代劇の古文書考証、時代考証を行う。第17回郷土史研究賞優秀賞(新人物往来社)など受賞。著書に『蔦屋重三郎と吉原』(朝日新聞出版)、『禁断の江戸史』(扶桑社)ほか多数。

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