日本史のトビラ

コラム

「大久保利通の人材抜てき法」


 大久保利通は、薩摩藩の下級武士に生まれたが、幕末、西郷隆盛とともに倒幕運動にまい進した。明治維新後は新政府の高官となり、明治6(1873)年の征韓論争では盟友西郷と対立してこれを退け、明治政府の最大実力者に成り上がった。西南戦争で人気のある西郷隆盛を倒したこともあり、一般にはあまり人気がないが、明治の政治家としては極めて優れた人物であった。
 特に利通の偉さは、薩摩という最大派閥の出身であるにもかかわらず、同郷人をえこひいきしなかったことだ。
 勝海舟は、次のように利通を評している。
「繰り返し繰り返し情実の相撲取りをなすやうではまことに天下国家のために相済まぬ事だよ。かういふ情実の間を踏み切つて、ものゝ見事にやりのけるのは、さうさナアー大久保だらうや、大久保のほかにはあるまいよ」(『氷川清話』講談社学術文庫)
 明治時代に活躍した小説家の白柳秀湖も「大久保は広く人材を天下に募り、適材を適所に置いて働かせようといふ考へを持つて居た。だから、薩摩人にひどく憎まれて居た。薩摩人ならば馬鹿でも、グズでも、乱暴ものでも何でも使ふといふのではない。その態度が、特に頑固な中世式封建思想で固つて居る一般薩摩人には全く理解できなかった」(『親分子分 政党編』千倉書房)と述べている。
 戦国時代でいえば、利通はさながら織田信長のようでもある。薩摩閥という最大の閥族の長でありながら、人間を能力によって抜てきしていったからだ。有能ならば栄達できる。才能があれば力を発揮させてもらえる。それを実感できたからこそ、長州の伊藤博文や井上馨をはじめ、多くの逸材が利通の下に殺到し、明治政府の礎が築かれていったのだろう。まさに利通は、現代のビジネス社会でも求められる理想のリーダーである。
 藩閥に関係なく、利通は有能な人材をどんどんと抜てきしていった。特にいったん信用した人物は、最後まで信じ通す癖があった。
 利通は内務官僚たちに「私一己に使はれるとか薩長に使はれるとか思わず、国家の役人である、国家の事務を掌(つかさど)るといふつもりで自任してやつて貰はなければならない。且また、細かい事は自分は不得手である、事務の方は万事諸君に一任するから力を尽くして遣つて貰ひたい。その代わり、責任は我が輩が引き受けてやる。顧慮せずにやつて貰ひたい」と述べ、「仕事の上の事は、過があつても決して叱られることなく、責任は一切自身が引き受けられたのである」(『甲東逸話』冨山房)
 まさに理想の上司像だ。こんな人の下で仕事ができるのなら、それこそ存分に各自の才能を発揮することができたのではなかろうか。

歴史作家 
河合 敦

◇河合 敦/かわい・あつし

 東京都町田市生まれ。1989年青山学院大学卒業、2005年早稲田大学大学院修士課程修了、11年同大学院博士課程(教育学研究科社会科教育専攻(日本史))満期退学。27年間の高校教師を経て、現在、多摩大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。講演会や執筆活動、テレビで日本史を解説するとともに、NHK時代劇の古文書考証、時代考証を行う。第17回郷土史研究賞優秀賞(新人物往来社)など受賞。著書に『蔦屋重三郎と吉原』(朝日新聞出版)、『禁断の江戸史』(扶桑社)ほか多数。