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コラム

「物価上昇に負けない持続的な賃上げの必要性」

日本労働組合総連合会[注1]によれば、今年の春季労使交渉(春闘)では、「平均賃金方式で賃金引き上げを要求した3102組合(昨年同時期比488組合増)の平均は17606円・5.85%(加重平均)で、昨年を大きく上回った」(3月4日時点の集計)とし、1994闘争(5.40%)以来 30 年ぶりに5%を超えたと公表した。その一方、2023年の1人当たり賃金は物価を考慮した実質で前年比2.5%減り、2年連続で減少した[注2]。依然、実質賃金の伸びがマイナスの状況にあり、物価上昇に賃金上昇が追い付いていない状況が続いている。物価上昇に負けない持続的な賃上げの重要性は高まり続けている。

 このような状況下、「労働者不足は将来的にも解決できないであろう。賃金を上げられない企業は市場から排除される時代に突入した」[注3]との意見が出てきている。将来的に物価上昇が落ち着いてくれば、現在の趨勢(すうせい)の賃上げが再び難しい状況になる可能性は否定できず、企業の賃上げを妨げる構造的な部分に政策のメスを入れることも必要であろう。特に、日本の従業者数の約7割を雇用する中小企業が、賃上げの原資を確保できる取引環境を整備し、持続的な構造的賃上げを実現する政策を進めることが重要となろう。この観点から、内閣官房・公正取引委員会が中心で進める「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針」(23年11月29日)は軸となる政策である。その目的は「適切な価格転嫁による適正な価格設定をサプライチェーン全体で定着させ、物価に負けない賃上げを行う」こととされている。日本銀行がマイナス金利解除などの金融政策正常化の条件に挙げるデフレ脱却、経済の好循環の実現を後押しする意味でも重要となる。

 他方、日本の経済成長を維持する意味でも、持続的な賃金の上昇は欠かせない。これは、少子高齢化によって総人口が減少し、それに従い労働力人口も一定程度減少すると見込まれており、ボリューム(数量)効果は低下していく中で、GDPの5割以上[注4]を占める個人消費(民間消費支出)を増加させていく必要があるためだ。しかし、このマイナスの影響を、一世帯当たりの所得の増加による個人消費拡大で補うことができるかといえば、過去10年間を振り返ると、心もとない。足元の世帯所得の平均(21年)は545万7000円で、この10年間はおおむね横ばいで推移しているからである[注5]。その要因は、他の世帯よりも所得が低い「高齢者世帯」(21年は318万3000円(前年比4.4%減))の世帯全体に占める比率が高まっているからである。さらに、所得金額の階級別に世帯数の分布を見ると、100万円以上400万円未満は40.3%でボリュームゾーンとなっており、平均所得金額の中央値は423万円となっている。この点においても、持続的な賃上げは重要である。

 どの程度の賃上げが中長期的に必要であろうか。OECD(経済協力開発機構)は24年3月11日、00年から22年におけるOECD加盟38か国の平均年間賃金[注6]のデータを公表した。日本の同賃金(自国通貨建ての実質値[注7])は00年を100とすると22年もほぼ100で変化はない(金額ベースでは451万円から452万円への変化)。ほかの主要先進国では22年に米国127、カナダ127、英国120、フランス121と、過去20年で約2割程度上昇している。日本では、約30年後の2056年には総人口が、現在(20年)の1.2億人から1億人へと約2割程度減少する見込みである[注8]。政策にもよるが、この総人口の減少とともに労働力人口が減少していく可能性が高いため、経済成長を今の水準に維持するためには、20年間変化のない年間賃金を前記先進国並みに、今後10年で最低でも2割から3割上昇させる必要があるのではなかろうか。この意味でも、企業の持続的な構造的賃上げを実現することは必須となってくる。同時に、個々の企業は、先述の政策以上に生産性を向上させる経営努力が欠かせないことは言うまでもない。将来的には、日本の全ての個々の企業による不断の経営努力が、しっかりと経済成長に寄与する経済構造にすることこそ、持続的な経済成長を実現する上で最も重要であろう。

(3月19日執筆)

[注1]「1994闘争以来30年ぶりに要求が5%超える~2024春季生活闘争 要求集計結果について~」(24年3月7日)https://www.jtuc-rengo.or.jp/activity/roudou/shuntou/2024/yokyu_kaito/yokyu/press.pdf?8757

[注2]厚生労働省「2023年毎月勤労統計調査(速報、従業員5人以上の事業所)」24年2月6日

[注3]ものづくり産業労働組合安河内賢弘会長(Financial Times “Japanese workers secure biggest pay rise in three decades,” MARCH 13 2024; https://www.ft.com/content/4dded4bb-a608-4f9a-9f54-e6af47caef8f(筆者訳)

[注4]内閣府「2023年10-12月期・2次速報(2024(令和6)年3月11日公表)」では、名目GDPベースで54%、実質GDPベースで53%。

[注5]厚生労働省の22年「国民生活基礎調査」。

[注6]Average Annual Wages:雇用者に支払われる賃金の総額を、雇用者数の合計人数で割った数字。フルタイム雇用者だけではなくパートタイム雇用者もフルタイムで働いたとして含まれる。

[注7]物価の変動による影響を除外した、数量的な変化を推定した数値。平均給与(実質値)=平均給与(名目値)÷物価指数で計算。その物価の変動分だけ割り引いて、同じ金額で買える物の数量がどれだけ変化したのかを表そうと試みるのが実質値。

[注8]23年4月に国立社会保障・人口問題研究所が公表した「日本の将来推計人口」における出生中位(死亡中位)推計。https://www.ipss.go.jp/pp-zenkoku/j/zenkoku2023/pp_zenkoku2023.asp

                             

株式会社大和総研 金融調査部 主席研究員

内野 逸勢

 静岡県出身。1990年慶応義塾大学法学部卒業。大和総研入社。企業調査部、経営コンサルティング部、大蔵省財政金融研究所(1998~2000年)出向などを経て現職(金融調査部 主席研究員)。専門は金融・資本市場、金融機関経営、地域経済、グローバルガバナンスなど。主な著書・論文に『地銀の次世代ビジネスモデル』2020年5月、共著(主著)、『FinTechと金融の未来~10年後に価値のある金融ビジネスとは何か?~』2018年4月、共著(主著)、『JAL再生 高収益企業への転換』日本経済新聞出版、2013年1月、共著。IAASB CAG(国際監査・保証基準審議会 諮問・助言グループ)委員(2005~2014年)。日本証券経済研究所「証券業界とフィンテックに関する研究会」(2017年)。