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コラム

「国民一人一人の持続的な所得向上のために」


 2024年6月に物価変動を考慮した実質賃金が、22年3月以来、初めて前年を上回った。8月6日に厚生労働省から発表された「毎月勤労統計調査 令和6年6月分結果速報」では、現金給与総額[注1]を基にした実質賃金(実質賃金指数(令和2年平均=100))は、前年同月比1.1%増と27カ月ぶりに前年を上回った。これまで名目賃金の増加は物価の上昇に追い付いておらず、労働者は賃上げの恩恵を十分に得られていなかった。しかし、その問題が解消し始めたといえよう。6月は名目賃金も高い伸びを示し、就業形態計(一般労働者とパートタイム労働者)の現金給与総額は49万8884円と、前年同月比4.5%の増加となった。30カ月連続プラスを維持している。この総額の大部分を占める「きまって支給する給与」(=賞与等を除く基本給、家族手当、超過労働手当などの「定期給与」)は、28万4342円の同2.3%増加と29 年6カ月ぶりの高い伸びとなった。うち一般労働者は66万4455円の同4.9%増、パートタイム労働者は12万1669円の同5.7%増となった。
 このように全国ベースの統計では、実質賃金がこの6月に上昇に転じたものの、地域別に細かく見れば、居住地域によって、各労働者の肌感覚には差があろう。自由に居住地域を選択できるとはいえ、職場と居住地を変えることはそう簡単ではなく、労働者一人一人が努力して、賃金を上昇させるには限界があると思われる。このため、地域の住民の賃金を含む所得向上のために取り組んでいる地方自治体の政策が、この肌感覚の差を埋める一つの鍵となる。しかし、各地域の「地方創生」などの地方活性化政策が地域経済の活性化、地域住民の一人一人の所得向上に結び付いていないケースが見られるとの指摘がある。例えば、「観光振興が成功して、観光客で賑わっているにも関わらず、地域の住民の所得が低い」「先端技術の企業誘致に成功して、順調に操業しているにも関わらず、地域の企業や住民の所得が低い」「多額の補助金・交付金等によって公的な資金が地域に流入して、住民の所得が高いにも関わらず、企業が育たず、地域の生産力が低い」などが挙げられている[注2]。
 この背景には、各地方自治体の「稼ぐ力」の強化策が、地域内の「所得の循環」を生み出し(=地域経済循環構造)、それが住民の所得向上につながっていないことがある。このため、政府は「地域経済循環構造」に地域経済を再構築する必要があるとして、15年4月21日より、「地域経済分析システム(RESAS(リーサス))」の運用を開始した[注3]。RESASは、産業構造や人口動態、人の流れなどに関する官民のいわゆるビッグデータを集約し、可視化を試みるシステムである。
 その地域経済の循環を生み出す起点は「稼ぐ力」の強化=企業収益の拡大である。それにより、地域外からの所得の流入と地域外への流出を考慮した地域全体の所得が地域内で循環し、最終的に地域住民の所得向上につながっていることが好循環とされる。稼ぐ力の強化策による企業の労働生産性の向上、輸出・移出拡大、補助金・交付金、利子・賃料収入拡大による地域外からの所得流入の拡大、その一方、光熱費等の地域外への支払いなどの縮小が必要となる。
 ただし、実際には、地域経済循環構造が、好循環となっている地方自治体と悪循環となっている地方自治体が存在する。この格差を各地方自治体が認識し、それを生み出している課題解決に向けて地道な努力を継続していくことが、地域住民一人一人、ひいては国民一人一人の所得向上の持続性を維持するために重要であろう。中長期的には、企業努力による賃金上昇には限界があるため、このような地方自治体の取り組みをこれまで以上に促進することが必要ではないか。        

(8月20日執筆)


[注1]賃金、給与、手当、賞与その他の名称のいかんを問わず、労働の対償として使用者が労働者に通貨で支払うもので、所得税、社会保険料、組合費などを差し引く前の金額である。
[注2]日本政策投資銀行グループ株式会社価値総合研究所「地域経済循環図でお金の流れを『見える化』しよう」2021年8月26日
[注3]内閣官房のデジタル田園都市国家構想実現会議事務局および内閣府地方創生推進事務局による運用。       

株式会社大和総研 金融調査部 主席研究員
内野 逸勢

◇内野 逸勢/うちの・はやなり

静岡県出身。1990年慶応義塾大学法学部卒業。大和総研入社。企業調査部、経営コンサルティング部、大蔵省財政金融研究所(1998~2000年)出向などを経て現職(金融調査部 主席研究員)。専門は金融・資本市場、金融機関経営、地域経済、グローバルガバナンスなど。主な著書・論文に『地銀の次世代ビジネスモデル』2020年5月、共著(主著)、『FinTechと金融の未来~10年後に価値のある金融ビジネスとは何か?~』2018年4月、共著(主著)、『JAL再生 高収益企業への転換』日本経済新聞出版、2013年1月、共著。IAASB CAG(国際監査・保証基準審議会 諮問・助言グループ)委員(2005~2014年)。日本証券経済研究所「証券業界とフィンテックに関する研究会」(2017年)。

内野 逸勢